松丸さん(千葉県) 利用開始:インクオープン〜(2018/4〜)
出会いは、娘が2年生の夏休みのイベント『目指せ宇宙飛行士』でした。
コドモクリエイターズインクが始動する前、ミライLABOが学童向けに開催したものでした。
娘は、年長のときに下町ロケットというドラマに影響を受け、将来は宇宙開発がしたいと、夢を描くようになり、ロケット打ち上げの地、種子島が大好きになりました。そして、3年生で種子島へ山村留学に行くことを目標に、宇宙について勉強を始めた頃の出会いでした。
イベントの内容は、筑波宇宙センターにて、JAXA宇宙教育リーダーの和田先生が人工衛星など展示物のガイドをしてくれました。話がとても深く面白く、初めて聞くことばかりで興奮したのを覚えています。他にも4日間にわたるワークの中で、2050年までの未来年表を作成する内容があり、ここで娘の夢がどんどん具体化していったのです。今思うと、夢が動き出した瞬間ですね。
『宇宙開発の技術を利用して、環境問題を解決したい。私はエンジニアになる!いつかはやぶさミッションを成功させた川口教授みたいな、プロジェクトマネージャーになりたい!』
おおお!!なんと、かっこいい夢でしょう。
そんな夢を逆算して、王道の道筋を描いてみると・・・
宇宙開発→JAXA→東大→進学校→進学塾→種子島留学
んん〜、当然の結果ですよね。けどまだ2年生だし、お勉強は後々でも、大丈夫じゃない?なんて暢気なことを言っても、娘が考えた年表。私に主導権はありません。そして自らコツコツと家庭学習をはじめたのです。
勉強しなさいと言われなくても、机に向かう摩訶不思議な我が子。自分の子供時代じゃ考えられません。未来年表おそるべし!
そして、夢への第一歩が種子島留学です。1年間、里親さんの元で暮らし、島の小学校に通う制度なのですが、種子島は人気が高く例年応募多数のため、必ず受かるものではありません。熱意だけは誰にも負けないと、意気込んで応募しましたが、結果が応募した3つとも落選
人生で始めての不合格×3・・・
本当に落ち込んでおり、心が折れる音が聞こえてきそうでした。
まだ低学年ですし、まだまだチャンスはあるのですが…
未来年表の中学校の欄には難関中の名前が書き込まれています。中学受験の現状に詳しい方はご存知だと思うのですが、受験準備は3年生の冬からというのがスタンダードです。娘はそれを知り、3年生で種子島留学→4年生から通塾するプランを立てていました。のはずが、落選。留学を先延ばしすることは志望校へのハードルをものすごく上げてしまうことになる。どうしようと悩んだ末、
『3年生で留学できないのなら諦めて、通塾したい。わたしの夢は種子島留学じゃない、宇宙開発だから』と。これが、最初に出した娘なりの答えでした。
そんな時、ミライLABO企画の八ヶ岳での冬のキャンプがありました。智先生とあれこれとゆっくり話しをしたそうです。『その選択は決め付けじゃないの?』そんな言葉をかけてもらったそうです。まだ小学生なのに、現実を見て何かを諦めてしまう娘に心を痛めたそうで、智先生の生い立ちを話してくれたそうです。智先生は子供時代やりたいことを存分に楽しめなかった経験が有り、だからこそ、今の子供たちには可能性がある以上簡単に諦めてほしくないと。
そんな、心からのメッセージを頂いた娘。帰宅ししばらく一人で考えて出した答えは。
『種子島も志望校も諦めたくない!!!』この言葉でした。正直驚きました。進学は高校からにして今は種子島に行くと言ってもらいたかった本音もあります。ただでさえ途方もない高い目標です。現状を知っている人は、みなさん無謀だとアドバイスしてくれました。なんなら、入塾さえ断られたくらいです。お母さん欲張らないでどちらかにしてくださいなんて言われて。もう、開き直って親子で笑いました。
2018年4月から新たに始動した、コドモクリエイターズインクにお世話になるとともに。
そんな状況を受け入れてくれた塾に入塾して、猛勉強の日々がスタートしたのです。4年生で種子島に行く。5年生から勉強スタートして間に合わないのであれば、この1年間で2年分やってやろう!!という計画です。毎日大量の課題をこなす毎日。遊び時間も削って…まだ若干3年生なのに、本当にこれで良いのかと、悩みながら駆け抜けた1年間。
絶対に来年度は種子島に行って欲しい。行くもんだと誰もが思っていました。
神様の采配は残酷なもので。あっけなく2年連続の落選通知が届きました。こんなにがんばってるのに未来年表通りに歩ませてもらえない!!!どんな想いなんだろうと考えると涙が出てしまいます。
しかし本人はというと。涙が出ないよう上を向いて、深くため息をついて、結果を受け止める。誰のせいにするわけでもなくただただ受け止める。そして、間違えてめっちゃ勉強しちゃったじゃんと笑い飛ばす。娘の強さを心からカッコイイと思えた出来事でした。
なぜこんなにもまっすぐ夢に向かって突き進めるのか。それはきっと、『自分で決めたことだから』だと思います。努力した分2年目の落選の方が辛いはずなのに、笑って乗り越えられる強さは、1年目の挫折があったからだそうです。あの時本当に落ち込んだけど、気がついたら前を向いている自分がいた。挫折を乗り越えた経験が自信につながったのでしょう。もういいやではなく、まだいける!信じて歩み続ければ夢は叶うと。挫折が娘を大きく成長させてくれました。
挑戦しなければ成功はありません。ただし挑戦すると失敗もします。つまり成功はたくさんの失敗の積み重ねの先にある。この先に、輝かしいミライがきっと待ってると信じてこれからも歩み続けてくれると思います。
親は子供のためと思い、多くの成功体験を積ませてあげたいと願うものです。成功を信じてミライを描きますが、人生は容易くはいかないものです。本当に生き抜く力は、自分を信じ抜く力だと思います。そして、投げ出したくなった時、いつも寄り添って応援してくれる場所がコドモクリエイターズインクです。親とは少し違った立場で、子供の心に寄り添ってくれる、かけがえのない存在です。
2020年、教育革命!第3次中学受験ブームともいわれるこの時代。
お子さんの進路を悩む親御さん。モチベーションを維持できないお子さんに悩む親御さんも多いと思います。私はそんな方こそインクに来ていただきたい。なにかのヒントが見つかるかもしれません。インクに通って成績が伸びるわけではありません。学力だけ考えたら、一見無駄に感じるような、遊びのような時間です。けれど、今の辛抱は明確な目的のためだということを、芯に持っている子は本当に強いと思います。夢を持つことで生み出される果てしない可能性を、感じてもらいたいです。
子供たちが自ら道を切り開き、羽ばたくミライ。
地球の重力を振り切って、広大な宇宙へと飛び立つロケットのように。
夢へ向かう推進力。
コドモクリエイターズインクは子供の夢を本気で応援してくれる場所です。
石丸さん(世田谷、会社経営) 利用開始:2018年8月〜
息子がコドモクリエーターズインクに初めて参加したのは小学2年生の夏休み(2018.8.4~5)に開催された「コドモリーダーシップキャンプ」でした。
このキャンプには保育園の年長さんの弟も一緒で、息子たちだけで参加する冒険の旅でした。
キャンプでは、「登ると夢を叶えてくれるという45度、200段以上の階段を登り切ったところにある愛宕神社」まで登ったり、子どもたちだけで夕飯のメニューを考えるところから料理作り、そして料理には欠かせない「火おこし」作業などをしたりもあります。
キャンプですから、知らない子どもたち一緒に寝泊まりもしますし、翌朝の支度に昼食の支度まで完全に小さな子どもたちでやり抜くのです。
小さな子どもたちが時には意見が合わなくて喧嘩になることもあったようですが、同伴の大人たちは、「喧嘩も勉強、そこで折り合いをつけ出すのも勉強、その次に歩み出すきっかけを見つめるのも勉強」というスタンスで、とにかく子ども達に寄り添いつつ、チャレンジさせていました。
キャンプの様子をオンラインで送られてくる動画や写真、そして報告書・・・。
そこには遊びの中で自然と「21世紀型スキル」を自然な身に付ける仕掛けと面白さが転がっていることを知りました。
そんなわけで、息子たちは、キャンプから大喜びで帰ってきました!!
さてここで、息子のことを少し解説します。
「性格はかなり拘りの強い」
「頭ではわかっているが、心の中や考えていることを言葉にするのがとても苦手」
「自分がやりたい事は何が何でもやり抜く」
「見た目とは裏腹に繊細」
「運動神経がとてもよく、スクールにも通わず見様見真似で小学1年生でスキーのジュニア1級をとった」といった特徴を持っています。
そんな息子は丁度その頃、標準値を求められる押しなべた学校教育の環境下で「こだわりのある自分の思い」に折り合いをつけることが非常に難しい場面に遭遇し、私自身はというと、父親の療養介護の真っただ中で、加えて仕事と育児という狭間に立たされている苦しい状況でした。
そして息子は「どうせ僕の事なんてわかってくれない」という悲しい言葉を時折、発するようになっていました。
私は父親の療養介護で疲れ切っていましたが、どんな状況であっても、どんな形であれ息子のフォローをしっかりしたかったですし、できれば私や夫だけでなく、息子により近い目線で第三者的に入ってもらえるような出会いを追い求めていました。
願わくば学習塾の一歩手前というのか、能力の基本となる根の部分を燻り、刺激し、彼の拘りを逆に引き出す場(機会)を引き出すような場所を探していたんですね。
私の引き出し方が悪かったのか、息子は座学での単なる勉強は大嫌いですが、たった一つ「遊び」の中で思考や体を使うことは大好きでした。
たとえば、将棋のような勝負事は、大の得意なのです。
そんなこともあり、「リーダーシップキャンプ」との出会いから、「ミライLaboに行きたい」という方向が息子と私の間で合致し、秋からミライLaboさんが企画運営されている「コドモクリエーターズインク」に通い始めることになりました。
その場は人によっては、「ただの遊びごと」のように見えるかもしれません。
でも実は、考えられた「引き出しの場」があるように私には見えます。
そして私にとってとても有難いことは、息子の引き出しを開けるのにスタッフの皆さんが真剣にそして面白がって、息子の面倒臭くもある根っこの拘りを、「何故、そこに拘るのか?」という彼の無意識を見続け、息子と一緒に探し出してくれる「メンターのようなスタンス」があることです。
だから息子のもう一つの「居場所」=生きやすさになりつつありますし、私流の育児の「処方箋」をいただく場所であったりします。
コドモクリエーターズインクは『世の中の困りごとを子どもたちが見つけ出し、そして子どもたちの目線で解決し、世の中を今よりちょっと楽しい場所にする』ことをコンセプトにされています。
企画される遊びを通じての取り組みを通じて、息子が日常の中に転がる社会課題にも目を向け、常に大事にしているワクワクするような「遊び」の要素が溢れた解決手法を取り入れるあれこれを、息子は今、楽しんでいます。
一つ、Laboでの実際のワークで息子に起こった出来事を紹介しますね。
『夢を叶える手帳術!オリジナル手帳を作ろう!」というワークに参加した時のことです。
そこでは「2050年までの年表」を書き、そのあとに「2019年の目標と計画」を手作り手帳として作っていくのですが、「2050年までの年表」に自分の年齢を息子が書いている時の事でした。
2050年 40才・・・。
そこまで書いたとき、机の下に蹲ってしまいました。
みると泣いていました。
「2050年・・・母ちゃんがいない」
「そうかもね、、、だから生きている時間、一緒に楽しもう!!」と私は返事するわけですが、その時、白井さんから息子に、「やりたいことリストに、お母さんと一緒にしたいことを書き出してみたらどう?」という声掛けがありました。
息子はスイッチが入ったかのように、みるみるリストに書き出していきました。
次に具体的に2019年の目標を書き、実現するための「毎月」の目標を息子らしく書きました。
このワークで息子は、私がいずれ死ぬこと、そして自分の人生がそう長くないことを知り、高齢出産だった母親である私が、2050年にはいないかもしれないことを認識しました。
そして自分のライフプランを、子どもながらに逆算して「やりたいことベスト5」「行きたいところベスト5」「かあちゃんとしたいことベスト5」のリストアップをしていくのです。
この「自分の命は有限であること」を知り、「人生を逆算して考えていく考え方」は、とても大事だと思っています。
そして、2019年の目標を立て、「大好きなスキーをもっと極めたい」宣言をして、スキーシーズンが始まる今、やる気スイッチを入れた息子は本当に生き生きと今年の目標「大人の2級を取る!」と意気込んでいます。
私は子どもが持つ表には見えない才能や底力を信じています。
見えないインセンティブを刺激すると、ニョキーっと芽を出すんじゃないかなって...
そして、息子は妙な拘りを持つ子だからこそ、その力を上手く刺激されたとき、そのタイミングで、まるで長い眠りから覚めたように、独特な花を咲かせるんじゃないかなって...。
でも、ちょっと、第三者という立場で、子どものそれぞれの処方箋を出してくれるようなサポートが欲しいな~!!!
そんな事を思っている親は、私だけでなく、きっとかなりのの数、いらっしゃるんじゃないかなと思います。
人は大人も子供も十人十色。
だからこそ、決められたレシピや処方箋はなく、だからこそ、私も皆さんも試行錯誤なのは当然。
そんな子どもや親のそれぞれの処方箋と、子どもも親も共に楽しめる空間と時間が「コドモクリエーターズインク」にはあると私は思いますよ。
大渕さん(渋谷区) 利用開始:2018/7〜
習い事をしていない我が家の子たちがインクに通う理由
"ママ、世の中には一年生でも1たす1が分からない子がいるかもしれないよね?私はいろんな子がこの世の中にはいると思うの。周りの子たちは「そんな子はいない」って言うけど、『私は』いろんな人がこの世界にはいると思う。"
インクに通い始めた小1の娘の発言にハッとされられた瞬間でした。
インクと出会えて本当に良かった、と改めて感謝しました。
娘は2歳から6歳までを海外で生活しました。
日本に帰国して数か月間は、それまでの環境から一変した日本の生活・人間関係に馴染めずそれまで見たことのないほど荒れ狂う娘の姿に途方に暮れる日々が続きました。
突然泣き出す、怒り出す、暴れだす…。本人なりに日本の生活にアジャストさせようと努力しながら葛藤していて、感情を親にぶつけられるだけ良いじゃないか、と自分に言い聞かせ、嵐が過ぎるのを待つ日々でした。
その後、小学校に入学、次第に落ち着きを取り戻すとともに、それまでは太陽のような明るさで何事にも物怖じしなかった娘が、気が付くと「みんなと同じがいい」「ママはどう思う?どうしたらいい?」と、常に私や夫、大人の顔色を伺い、控えめで慎重な性格になってしまっていました。
息子が幼稚園の年少、娘が小学校の1年生。初めての夏休み、のタイミングで我が家は都内への引っ越しを決めました。
一番の理由は夫婦の通勤時間の短縮、でしたがどんどん大人しく、「周りと違うのは怖い」と言い出した娘に、都心に移ることで「もっと様々な世界を見せたい」「いろんなチャンスを与えたい」と思ったことも理由です。
引っ越しを検討したときに、一番頭を悩ませたのが子どもの預け先でした。私は働いている、といってもパート勤務。それまで住んでいた自治体では認可保育園も公立の学童保育も、勤務日数の関係で入れることができませんでした。
自分で民間の事業者を探すことは覚悟していたのですが、年齢差が3歳という、幼稚園児と小学生を一緒に預けられる、金額的にも通わせられる施設を生活圏内で探すのはなかなかの困難でした。
そして、前述のとおり、「一人だと不安だから絶対に行きたくない」という娘を納得させるには『弟と一緒』は必須条件でした。そんな時、過去に働いていた会社の同期に教えてもらったのがミライLaboであり、コドモクリエイターズインクでした。
調べてみると、勤務先からも徒歩で行ける近さだと分かり、まずは日曜会員のプログラムに体験参加させていただきました。本来は小学生以上、のプログラムでしたが、ミライラボは土日も運営しているので「飽きたら弟君はラボで遊んでもらえますよ」という回答に、安心して子どもたち二人を預けました。
活動終了時刻の15時頃に迎えに行くと、我が子の驚きの姿が待っていました。この日のテーマは「カンボジア」子どもたちは「世界が100人の村だったら」の絵本を読み、カンボジアの子どものエピソードを聞き、考え、カンボジアの子どもたちと一緒にしてみたいこと、の絵をかき、プレゼン(発表)をしたようでした。そして、私が迎えに行った時には、なんと、3歳の息子もみんなの前で物怖じすることなくプレゼンしていました。
まだたどたどしい話し方で意味を成していない内容でしたが、まだまだ赤ちゃんだと思っていた息子の堂々とした発表に胸が熱くなりました。
そんな息子の発表にも、インクの子どもたちは急かしたり馬鹿にしたりすることは一切なく、みんな温かい目で見守ってくれました。プレゼンを拍手で終えられた息子の誇らしそうな顔はもう赤ちゃんではありませんでした。子どもたちが年齢関係なく一人ひとりを尊重している。そんな子どもたちの姿にもとても感動しました。
「一人では絶対行かない!」と言っていた娘でしたが初めてのインクでの体験と、個々を尊重してくれる環境に安心できたのか「ラボ(インク)なら行ってもいい」と、夏休み期間は弟と一緒にラボ(インク)に通いました。参加を強制せず、本人の意思を尊重してくれるので、年少の息子も興味があるものには姉と一緒に参加、興味が失せたら他の遊びを探して…と自由にさせてもらえ「僕ラボ(インク)大好き!」になりました。
異年齢の環境で年齢の上の子が下の子の面倒を見て、下の子も上の子のことを一生懸命にまねようとする。そんな関わり合いが自然と存在していて「まだ3歳だから無理」ではなくて、「本人がやりたいならチャレンジしてみよう!」と息子にも向き合ってくれる懐の深い先生方や子どもたちがインクにはいて、行くたびに我が子たちは刺激を受けて帰ってきました。仕事で疲れて迎えに行ってもそんな子どもたちの変化が見られたので灼熱地獄の子連れ通勤も頑張れました。
タイトルにも書いたように、我が家の子どもたちは他に習い事をしていません。習い事を否定しているわけではありませんし、本人たちが自分で「これがやりたい!」というまでは待ってみようと思っています。まだその時期が来ていないだけで、本人たちが望むのであれば、いつでも始めるでしょう。
ただ、私自身「周りの子がやっているから」「なんとなく自分が子供のころ通っていたから(もしくは通いたくてもできなかったから)」という理由だけでは習い事は始めたくないな、と考えています。
最初は「夏休みの間だけ」と思っていたミライラボ(インク)。夏休み後に、とあるプログラムに久々に参加したときに「最近うれしかったこと」を手帳に書き、発表したようなのですが娘は「ディズニーランドに行けたこと」の次に「ラボ(インク)に来られたこと」と書いていました。
正直、とても驚きました。いつもは「ママはどう思う?どうしたらいい?」が口癖で「また行きたい?」と聞いても「ママはどう思う?」と返ってくるだけだった娘。でも、ちゃんと本人も通いたいと思っていたんだ、と。ディズニーランドと並ぶくらいインクのプログラムが楽しいんだ、と。
娘の手帳の文字に驚き、喜んでいた同じタイミングでとも先生からもメールがありました。
”昨日はありがとうございました!
久しぶりに○ちゃん、○くんに会えてとっても嬉しかったです!
(中略)
○ちゃんはとても感受性が豊かで表現することが好きな女の子なので、そこを伸ばしてあげたい、と心から思います。恥ずかしがり屋な分、とてもうちに秘めている想いは溢れるものがあって、だからこそ、絶対安心な環境の中でどんどん開花させてあげたいと思いました。(以下省略)”(とも先生のメールより)
このメールを受け取って、「これからもインクに通おう!」と決意しました。帰国して1年。短い期間でここまで娘のことを理解して、考えてくれた人には出会えませんでした。そして、娘もインクでは安心して昔のように自分の想いや考えを表現できていることが分かって目頭が熱くなりました。安心して自分自身が表現できる環境を、日本でも見つけられたんだ、と心から嬉しくなりました。
長くなりましたが、冒頭の娘のコメントに戻ります。
日本に帰国するまでは「人と違うこと=スペシャル」と捉え、容姿を友達にからかわれることがあっても「人と見た目が違う私はスペシャルなんだ」と自信をもって言っていた娘。誰一人として知っている人がいなくても、言葉が一言も分からなくても、ぐんぐん新しい環境に飛び込んで行っていた娘。
そんな姿を見て、海外生活で物怖じしない子供に育ってくれて良かった、と思っていましたが、帰国後は親の期待は続きませんでした。
帰国後は「皆と同じがいい」「誰かに決めてほしい」と言っていた娘が「皆はこう言うけど『私は』違うと思う」と自分の意見を言えるようになってきたのです。
また昔の「私はスペシャルなんだ」と言っていた娘の姿が蘇ったようでした。
これも娘の個性を理解してくれる先生、温かく迎えてくれる子どもたち、娘の好奇心を刺激してくれるプログラムのおかげだと思っています。特に先日参加した「超福祉展」やミライの福祉を考えるイベントで、様々な障害を持った人や生きづらさを抱えている人たちと触れ合い、交流したことも娘に大きな刺激を与えたようでした。
これからも様々なプログラムが予定されているコドモクリエイターズインク。これからは「コドモが作る理想のミライ」と題してコドモ起業家教育プログラムも始まるようです。現在の子どもたちの65%が今は存在しない職業に就くだろう、と言われている昨今。
我が子たちも就職以外の道を選ぶかもしれませんし、この2018年では考えもつかないような職業に従事するかもしれません。そんな未来を生きるであろう子ども達には、彼ら自身が「ワクワク」するような体験や失敗をたくさん経験して「生き抜く力」を養ってもらいたいと願っています。それがここ、インクではできそうだ、と娘の変化や息子の表情からも伝わってくるのです。
コドモクリエイターズインクでの様々な体験を通じて学びや視野を広げ、「2050年の日本を元気にする」立役者となってくれるよう、子どもたちが「もう卒業する!」と言うまでインクに通い続けることを応援したいと思っています。